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九谷焼作家 山岸 大成さん

登録日:2023年8月2日

3-01 

庭に設置された作品(2023年1月撮影)


最初の元となるところは、
最後まで持ち続けなければいけない。

 今の年代になって以前の作品を見返してみると、これは好きだな、これいいな、と、今までの作品の中でもトップクラスに入るというものもあります。しかし、なぜあの時に、こんないいものができたのか、それを気付かずに過ごしてきているんです。 
 毎日一つの作品に向き合っていると、だんだん駄目になることがあります。以前、ある先生から「いっぺんできたと思ったら風呂敷か何かで覆って4、5日そのままにしとけ。そしてまた見てみろ。それで見た時に、よければいいけれども、ちょっとおかしいなと思ったらそれは駄目なんだ。」と言われたことがあります。毎日見ていると、わからなくなるんですね。きっと自分で自分の作品に惚れ込んでしまっているんでしょうね。全然良くないのに、いいと思ってしまうことがあります。それと、最初にいつも思うのは、ものを作る時、最初に“こういうものを作ろう“と思って仕事にかかりますが、焼き物の場合は途中で変更がきくんです。最初に「うわっ」と何かに感動して、「よし!これをかたちにしよう」と思って作り始めた時には、頭の中で一つのかたちができてしまって作り始めるわけですよ。でも、こう作り始めたけど、これ面白くないからちょっとこれを変えてみる。すると「あ、こっちの方が面白いかな」と思って、それでそっちの方へ進めてしまうんです。そうして出来上がったものは、自分の本来作りたい物と全く別のものになってしまいます。


3-02

山岸家に並ぶ作品の数々

 

3-03 

作品づくりの上での大切なことを話す山岸大成さん 

 そうなると、やっぱり自分が本来持っていた魅力がなくなるんです。自分は何でこれを作りたかったのかと考え、「あ、こんなものを作ろうと思って始めているのではなかったな」と思うと、そのできたものがつまらないものに見えるんです。
 だから、「途中でこうした方がいいかな」と思っても、それはちょっと書き留めておいて、その作品を最後まで作りきってしまうことです。自分が発想してかたちを決めたものはともかく、最後まで作ってしまう。そしてその時々に思ったことをメモしておいて、それで最後まで作ったものがやっぱり駄目で、途中で思っていたことを加味しても、最初に自分がこれを作りたいと思ってやった時の意欲というものはなくなってしまっています。
 かたちの中に破綻があっても、最初の思いで作っていれば破綻が見えるんです。これは駄目だろうと見えるけれども、でもそれを作りきってしまった時には案外、それが破綻でないこともあるんですね。僕の場合、ともかく最初にやろうと思ってかたちを決めて図面で描いて、最後まで作りきってしまうんです。そして、途中で思ったことを別に作ってみて、どっちが自分の作りたかったものかと考えると、やっぱり最初に作ったものの方が自分の思いに合致しています。 
 

3-04 
 「香器 沼畔」(9.5×26.0×23.5cm)「美学の系譜」山岸家5人展より

 
 特に轆轤成形だと、やっている途中で粘土の伸び具合などの状態でかたちが変わるんですよね。そして、「あれ?作りだしてこういうかたちになったけど、ここのところはこうした方がいいかな」と思って、ちょっとやってみるんです、そしたら「いい。ああ、これならいい」って思うわけですよ。そういうことをやっていると、自分の頭の中で考える造形力の勉強には全くなっていないんです。要するに、偶然できたものになっています。若い人たちには、自分がこの形を作ろうと思ったら、途中で変えるなと伝えています。ともかく、先にこれで行くんだっていうところまで究極の線、鉛筆一本の右左というところまでも考えてデザインを作ったら、それは一つ作り切ってしまえと。偶然できたものが面白ければ「ああ、これいいな」と思って自分の作品だと思うかもしれないけれども、次にそれをイメージして作ろうと思ってもできないのです。轆轤上の粘土が回転で勝手に広がって、自然にできたかたちを「このラインがとてもいいな、もしかしたら自分は天才かな」と思うんですが、それは間違いです。そんなものに意味があるとは思えません。
 


 

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