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九谷焼作家 福島武山さん

更新日:2020年2月27日

 

したいこと、能美市だったら叶うかも

伝統工芸士 九谷焼赤絵細描作家

福島武山さん

 

福島武山さんは赤絵細描(あかえさいびょう)という、弁柄(べんがら)と呼ばれる鉄分を含む赤の陶絵具を使い、極細の線で、小紋・花鳥・風月・人物などを描き上げます。アクセントに金色も使いますが、赤一色でほとんど仕上げ、均一な線(時には0.1mmのこともある)で描かれる極細の模様で構成されたその作品は、見る人を圧倒し格別のオーラを放っています。

一時期、赤絵は九谷焼の代名詞となるほどの隆盛を見せ、優れた作品が多く存在しました。福島さんは幕末から明治期に盛行した、赤絵細描を受け継ぐ第一人者です。赤絵一筋で師をもたず先人の優れた作品を師とし、長年研究を続けてきました。福島さんは古くから描かれてきた唐人や竹林の七賢人といった画題のほか、立体的に表現する独自のデザインを開発し、大皿や花瓶、香炉や盃など多種の絵付をしています。

平成10年度に第23回全国伝統的工芸品コンクールのグランプリとなる内閣総理大臣賞、その他多くの賞を受賞、平成15年には石川県指定無形文化財に認定されました。赤絵の絵付職人が減少する中、能美市にある九谷焼技術研修所でも精力的に後進を指導し、その中から多くの赤絵作家を世に送り出しています。

赤絵のお皿1

赤絵のお皿2
七福神面取鉢(2018年)表面に七福神が並び、裏面には大蛇が抽象的に描かれている。世の安寧、泰平を願う図として描かれた大作。ろくろ成形は日本伝統工芸士 高山岑生氏(写真は2018年緑ヶ丘美術館での展覧会図録より)

福島武山氏
福島武山さん(2019年8月撮影)

 

以下、福島さん:昭和19年9月26日、金沢市で生まれました。ご縁があって24歳のときに結婚を機に能美市へ移りました。そこで赤絵に出合って以来50年ほど取り組んでいます。私は県立工業高校という美術工芸でも有名な学校の図案科を出ました。18歳で印刷会社に就職して、この佐野町に来てからも2年間(合計8年間)印刷会社に勤めていたとき、ある窯元のご主人が「あんた県工、図案科出ておるなら茶わんに絵を付けてみないか」って言われ、白い湯呑と絵具・絵筆を貸してくれました。それがきっかけで初めて絵付をし、そのご主人に窯をたいてもらいました。窯上りを見て、ご主人はもうびっくりしたそうです。“長い修行をした人でもこれほど描けない”って言われました。それは赤絵ではなかったんですけど・・・。陶祖祭の協賛で「九谷茶碗まつり」(毎年5月の3日から5日まで。令和元年は111回目の記念の年でした)があるんです。そこの会場に陶祖の斎田道開さんをはじめお弟子さんの作品も同時に並びます。その緻密さとかいわゆる画題の高尚さ、全てに物語があるんです。そのお話とかを聞いてちょっと驚き、感動して。それからやってみたい気持ちが一層強くなり、思い切って始めました。

陶祖神社の遠景 お酌

お参りする福島さん お参りした後の福島さん

陶祖神社御堂内1 陶祖神社御堂内2

陶祖神社御堂内。斎田道開が京都府の清水焼や佐賀県の伊万里焼などでの修行後、佐野へ戻り開窯し九谷焼発展のために尽力したことを記す絵が飾られている。

 

私のいる佐野は、赤絵が始まって200年足らずですけど、道開さんが若いときに(江戸時代の後期)自分の足で有田とか瀬戸とか、そういう所まで行って陶技を極め、この地で窯を開いて、そして赤絵を描き出したんですね。昔、佐野の村は赤絵の村っていわれたんです。私が佐野町に来た頃には数人が細々と赤絵付をしているだけでした。その当時、しばらくすると高度経済成長の波がきて筆を持って絵付けをするなんて、そういうたるい(=ゆるい)ことをしていても売上げが伸びないということで多くの人が筆を離してしまいスタンプとか転写に移ったんですけど、そこを私は手描きでやっていくと決めていたんです。でも当時、一筆一筆心を込めて描いていてもなかなかお金にならなかったんですが、今までやってきてよかったと思っています。

赤絵細描は、現在の能美市佐野町で生まれた豪農出身の斎田伊三郎が16歳で陶画工を目指し、加賀で修行した後、26歳頃に京都、伊万里、丹波、尾張などの先進地で技術を深め、39歳で生まれ故郷佐野町に戻り開窯。号を道開と名乗りました。金彩の光をより鮮明に表現するために、色絵付けされたものをまず一度焼成し、それに金描きをして二度焼きを行なう金窯の創意など、精緻華麗、金光絢爛の佐野赤絵が広く知られるようになる革新的技法を開発、九谷焼の一つの特色となったといわれています。

 

赤絵細書割取見込竜図深鉢 斉田道開作(能美市立博物館蔵)
赤絵細書割取見込竜図深鉢 斎田道開作(能美市立博物館蔵)

 

九谷焼が有名になったのも昔はいいものがたくさんあったからこそ名前が残ったのだと思います。それを転写とかスタンプで絵付をしたものが広まると、九谷の名声も徐々に廃れていくとか、若い時はそんな深いことまで考えていたわけではないですが、手描きでやっていくことが将来的には皆さんに評価してもらえると信じ、ずっとこだわり続けてきたんです。手描きでなければ表現できないものもたくさんありますよね。転写やスタンプは同じパターンの繰り返しですが手描きの場合はそれがないですよね。例えば人物を描くにしても、毎回同じように顔の表情を描いても少し変わってきます、手足を描くにしてもそうです。そういうところが手描きの面白さだと思います。

残っていくものなんですよね。ある程度の値段がするものですから買っていただいた人も大切に使ってくれます。毎日それでお酒飲んだり、ながめて楽しんだりするものですから、やはり手抜きとか心抜きをしないようにきっちりしたものを作るっていうことですね。自分自身もそういう気持ちでやっています。ある晩、疲れているのに仕事場に座って描いて、次の朝に見たら「ああ、一晩かかって描いたものがこんなものか」と思い、今でも消すことがあります。やはり名前も残りますし、九谷焼全体のレベルのためにもこだわらなければいけないところだと思います。

 

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