松井 秀喜さん
更新日:2025年6月9日
2009年11月6日 ニューヨークヤンキース27度目のワールドシリーズ優勝を祝うため、
金融街のキャニオン・オブ・ヒーローズをパレードする
ヤンキース時代の松井さん
(写真提供: James Keivom/NY Daily News Archive、Getty Images)
「野球以外にも、もっと何か大きなものを追い求めていきたい。
この星で暮らす者として、
責任と自覚を持った生き方を探してみたい。」
中学生時代に目覚めたキャプテンシーにより、秀喜さんの中に志が生まれます。ヤンキースでの経験は「夢」を実現。すなわち、強いチームにいることができ、そこできちんと野球ができることが何より楽しく幸せを感じる、その情熱と刺激の中でプレーすることが若い頃の夢だとすると、先の見出しの言葉は、「志」です。夢はその人だけで終わるものですが、志とは次の世代へバトンをつないでいく姿勢です。その姿勢こそ、“人間とは何か”を何より大切にする4人の師〜 父、そして星稜高校時代の山下智茂監督、ジャイアンツの長嶋茂雄監督、ヤンキースのジョー・トーリ監督から受けた共通の志であり、信念へと昇華するきっかけとなるのです。山下監督からは通学時間も含め、1年生の時から本を読むことを勧められます。それは野球の本ではなく、主に史書。「三国志」「史記」「論語」に「宮本武蔵」「徳川家康」など、その意図は、野球というスポーツを通して大きな人間になって欲しいということにあり、その教えを忠実に守ることで、秀喜さんは本の虫と言えるくらいの読書家になっていたのです。そして現実に大きな人間に成長していく。秀喜さんを「日本がアメリカへ送り出した最も美しい日本人」と称賛した故・伊集院静氏との親交にも繋がっている部分であると思います。(伊集院氏から本を送っていただいていたようです)

松井秀喜ベースボールミュージアムの館内に展示されているホームランカード
その信念はプロの選手となって、ひとつずつカタチにあらわれていきます。当時、秀喜さんがホームランを打つと「松井秀喜ホームランカード」が出されていましたが、そのカードの肖像権などから生じた収益を全て寄附。1995年の阪神淡路大震災では「ホームラン基金」を設立し、被災者への支援を行い、1997年、島根県隠岐島沖でロシア船籍のタンカー「ナホトカ号」の座礁による大量の重油流出事件でもそっと寄付をされています。秀喜さんの大ファンだという少年が交通事故により生死を彷徨っていると聞いたときには、彼のためにホームランを打つと心に決め、実行。毎年夏になると調子を上げる理由も、「夏休みに球場へ来てくれている子どもたちに生でホームランをみてもらいたい。」であり、神奈川県人権啓発推進会議が毎年主催している「人権メッセージ展」へは、いじめについての自分の思いを直筆メッセージとして掲載。心臓と肺を患った1歳の女の子がアメリカで治療を受けるための募金活動団体には、自ら電話をかけ、その年の賞金の全てを寄贈。37本塁打、103打点で終えた契約更改の場では「東京ドームにもっと車いす席を増やすことはできないでしょうか」と直談判。そして実現。2001年、東京JR新大久保駅で、山手線内回りのホームから一人の男性が転落し、助けようとした韓国人留学生(秀喜さんと同じ歳)も巻き込まれ電車にはねられなくなる事故が起こった時には、その留学生と家族の無念を憂い、韓国プロ野球チーム「現代」との試合の際に遺族への募金活動を自ら働きかけています。毎年獲得した賞金は都内61の聾学校、養護施設へと贈り、2002年、ベトナムに住む10人の子どもたちの里親になります。その活動のもとは1997年頃に父がベトナム出張の際に、当時の子どもたちが置かれていた劣悪な社会環境−学びたくても学ぶことができない状況−にもめげず、学びたいという情熱を持った子どもたちを支えたいという志から始まったプロジェクトの一環でした。

タンパベイ・レイズとの試合前セレモニーにて
(写真提供:ジム・マクアイザック/ゲッティイメージズ)
「僕は、
日本の野球の架け橋になりたい。」
2004年、ヤンキースが49年ぶりに来日、デビルレイズ対ヤンキースの日本開幕戦が実現し、読売巨人軍70周年を記念してヤンキース対巨人の交流試合も行われました。大リーグの日本開幕戦は2000年のメッツ対カブスが最初ですが、この時は両チームともに日本人選手はいません。2003年にはイチローさんが活躍していたマリナーズ対アスレチックス戦が予定されていましたが、イラク戦争の影響で中止になってしまったため、日本人選手が活躍するチームの日本開幕戦は、この試合が最初になります。2004年はマリナーズのイチロー選手がリーグの1シーズン最多安打記録を84年ぶりに更新し、注目を集めた年でもありますが、生でみる大リーグ選手の中で、活躍する日本人選手との姿は、子どもたちに大きなインパクトを与えました。それから20年。今は多くの日本人選手が大リーグで活躍していることを鑑みると、先の思いも叶えられたのではないでしょうか。
秀喜さんは引退後、自ら主催する支援団体を通じて、日米で野球教室を継続。2022年から、アフリカのタンザニアなど4カ国を中心に、オンラインでの技術指導を始め、近い将来にはアフリカ野球の視察に行きたいと意気込まれています。秀喜さんの一所懸命な姿にインスパイアされたアフリカの子どもたちの中から野球選手が出てくる未来が、きっと実現することでしょう。

松井秀喜さんからふるさと能美市へのメッセージ
能登半島地震が発生したのは、ニューヨーク現地時間では夜中だったため、朝起きてネットニュースを見て知りました。被災された方々へ、お見舞い申し上げます。微力ながら、出来ることで応援していきたいと思います。
ふるさとは、いつまでもふるさと。小さなころ石を投げて遊んでいた日本海や、白山、田園風景を見ると、いつも地元に帰ってきたなという思いがします。家の周りも昔は田んぼばかりだったが、今ではだいぶ変わってきました。ふるさとの発展の為、私にできることであれば今後も協力していきたいと思います。
タイトル
NPB
首位打者:1回(2001年) 注:史上3人目のフルイニング出場での獲得
本塁打王:3回(1998年、2000年、2002年)
打点王:3回(1998年、2000年、2002年)
最高出塁率:3回(1998年、2000年、2002年)
表彰
NPB
最優秀選手:3回(1996年、2000年、2002年)
ベストナイン:8回(1995年 - 2002年) 注:外野手部門を8年連続は歴代2位タイ
(他に山本浩二、秋山幸二)で、山本と並ぶセ・リーグ最長
ゴールデングラブ賞:3回(2000年 - 2002年)
野球殿堂競技者表彰(2018年)
正力松太郎賞:1回(2000年)注:選手として表彰
月間MVP:7回(1994年4月、1996年7月・8月、1998年5月、2001年9月、2002年7月・8月)
最優秀JCB・MEP賞:5回(1994年、1996年、1997年、2000年、2002年)
優秀JCB・MEP賞:1回(1998年)
JA全農Go・Go賞(強肩賞):1回(1998年9月)
IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:4回(1996年 - 1998年、2000年)
ゴールデンスピリット賞:1回(1999年)
オールスターゲームMVP:3回(1995年 第2戦、1998年 第2戦、1999年 第1戦)
出身地別東西対抗戦優秀選手:2回(1999年、2001年)
日本シリーズMVP:1回(2000年)
東京ドームMVP:3回(1996年、1997年、2002年)
ヤナセ・ジャイアンツMVP賞:4回(1996年、1998年、2000年、2001年)
MLB
ワールドシリーズMVP:1回(2009年)
月間MVP:1回(2007年7月)
週間MVP:4回(2003年6月、2004年5月、2005年6月、2011年7月)
月間新人MVP:1回(2003年6月)
インターリーグ首位打者:1回(2003年)
クラッチ・パフォーマー賞:1回(2009年8月)
Baseball Digest ルーキーオールスターチーム(2003年)
その他表彰
グッドガイ賞:1回(2003年)注:全米野球記者協会(BBWAA)のニューヨーク支部が取材対象である選手の人柄を評価する賞
日本プロスポーツ大賞
内閣総理大臣杯・日本プロスポーツ大賞:2回(2000年、2003年)
殊勲賞(2002年)
報知プロスポーツ大賞:3回(1996年、2000年、2002年)
毎日スポーツ人賞:3回(2002年、2003年、2009年)注:2002年はファン賞、2003年は国際賞、2009年は特別賞での受賞
新語・流行語大賞 特別賞(2003年、「Godzilla」)
ナンバーMVP賞(2003年)
在ニューヨーク日本総領事館在外公館長表彰(2009年)
ビートたけしのエンターテインメント賞
50周年特別賞(2009年)
特別賞(2012年)
ビッグスポーツ特別功労賞(2013年)
根上町民栄誉賞(1998年)
能美市市民栄誉賞(2014年)注:受賞者第1号
石川県県民栄誉賞(2000年)注:受賞者第1号
国民栄誉賞(2013年)
プライド・オブ・ザ・ヤンキース(2016年)注:ヤンキースがチームに貢献したOBの功績を称える賞
記録
NPB記録
通算本塁打:332(1993年 - 2002年) 注:実働10年間、歴代34位
年間最高出塁率:.463(2001年) 注:読売ジャイアンツ球団記録
年間最多塁打:346(2002年) 注:読売ジャイアンツ球団記録
フルイニング連続試合出場:574(1995年5月30日 - 1999年7月22日) 注:読売ジャイアンツ球団記録
7年連続シーズン30本塁打以上(1996年 - 2002年) 注:歴代4位タイ
5年連続シーズン100得点以上(1998年 - 2002年) 注:日本プロ野球記録
5試合連続本塁打(1999年6月5日 - 6月10日)
65試合連続出塁(2001年5月5日 - 8月3日) 注:セ・リーグ記録。
1250試合連続出場(1993年8月22日 - 2002年10月11日) 注:歴代3位。読売ジャイアンツ球団記録
通算出塁率:.413(1993年 - 2002年) 注:歴代3位(4000打数以上)
通算長打率:.582(1993年 - 2002年) 注:歴代3位(4000打数以上)
通算四球数:844(1993年 - 2002年) 注:実働10年間にも関わらず歴代31位
リーグ外野手レンジファクター(RF/G)1位:1回(2000年:2.11)[485]
オールスターゲーム出場:9回(1994年 - 2002年)
オールスターゲーム3試合連続本塁打(2001年) 注:史上初。中村紀洋と同時に達成。
4試合での日本シリーズ5四球(2002年) 注:山内和弘と並んでシリーズタイ記録
レギュラーシーズン、日本シリーズ、オールスターゲームでMVP選出 注:川上哲治、大下弘、福本豊、トーマス・オマリー、古田敦也に次いで史上6人目(後に内川聖一、阿部慎之助が達成)
リーグ最多得点:3年連続5回 注:ともに王貞治に次ぐセ・リーグ歴代2位
MLB記録
シーズン新人最多出場:163(2003年)
デビューからの最多連続試合出場:518試合(2003年3月31日 - 2006年5月10日)
ワールドシリーズ1試合最多打点:6(2009年第6戦) 注:タイ記録
リーグチャンピオンシップシリーズ最多安打:14(2004年) 注:タイ記録
リーグチャンピオンシップシリーズ最多二塁打:6(2004年)
リーグチャンピオンシップシリーズ最多塁打:28(2004年) 注:タイ記録
リーグチャンピオンシップシリーズ1試合最多安打:5(2004年第3戦) 注:タイ記録
リーグチャンピオンシップシリーズ1試合最多得点:5(2004年第3戦) 注:タイ記録
MLBオールスターゲーム選出:2回(2003年、2004年)
その他
能美市名誉観光大使(2014年~)
参考文献
「バットマン物語 松井秀喜の真実」田中章義 講談社 ISBN4-06-211689-8
「松井秀喜―献身力 逆境を力に変えて」古内義明 大和書房 ISBN978-4-479-79380-9
「MODESTY 松井秀喜 つつしみ深い生き方」伊集院静 ランダムハウス講談社 ISBN978-4-270-00204-9
「ヒデキマツイ」朝田武蔵 日本経済新聞社 ISBN4-532-16552-0
「父から学んだこと、息子に教えられたこと」松井秀喜/松井昌雄 ISBN978-4-408-00817-2
「松井秀喜の言葉」鷲田康 廣済堂出版 ISBN978-4-331-51713-0
「信念を貫く」松井秀喜 新潮新書 ISBN978-4-10-610355-1
「不動心」松井秀喜 新潮新書 ISBN978-4-10-610201-1
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