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上出長右衛門窯 上出 惠悟さん、北村 康司さん、柴田 鑑三さん

更新日:2020年2月27日

柴田鑑三さん。上出長右衛門窯のアトリエで
柴田鑑三さん。上出長右衛門窯のアトリエで(2019年8月21日撮影)

 

したいこと、能美市だったら叶うかも

上出長右衛門窯

柴田鑑三さんインタビュー

 

予備校生のときは、僕と上出の科が違ったので(上出さんは油絵科、柴田さんは彫刻科を専攻)ほとんど関わりがありませんでした。大学一年(東京藝術大学)のときは校舎が上野じゃなくて茨城県の取手なんですけど、取手駅から学校と離れる方角に二人とも家があって、近所だったのがきっかけで仲良くなった感じです。初めて会ったときの印象は、何だろうな、不思議な感じですね。皆さんも同じかもしれないけど、捉えどころがないっていうか。なんかこういう感じっていう形容が難しいですね。何て言ったらいいのかわからない。そんな印象です。

ろくろを回す柴田さん1 ろくろを回す柴田さん2

ろくろを回す柴田さん3 ろくろを回す柴田さん4

2011年に震災があって、僕はそのとき東京に住んでいて、ちょうど2人目の子どもが生まれてすぐで、放射能がどうだっていうので、家内の実家がある石川県(加賀市)に一家で移住しました。10か月間ぐらい僕一人が東京で仕事するっていう生活をしてたんですけど、子どもが小さいのに東京に一人でいるのも嫌になってきて、次は愛知県にある僕の実家に移住したんですけど、家内とうちの父親が全然合わなくて再度石川に戻ってきました。そうなってからも僕は隔週で東京にて一週間働いて、残りの時間は作家として作品をつくろうっていう気持ちがあったので、こっちで制作する生活をしてたんです。

僕も上出も、なんでつながったかはほんとに覚えてないんですけど。その時期に「石川に帰ってきているならちょっと遊びにおいでよ」みたいな感じでここに来て、「招猫の原型とかちょっとやってくんない?」みたいな感じになって、「ああ、いいよ」っていうやりとりが始まりました。僕もここにちょっと来るようになった丁度その頃、北村も「作品を作りに時々来てるよ」って話題にしていた時期でもあります。

当時、僕は東京で木を扱う仕事をしていたのですが、ここに来てから久々に粘土に触れる機会が生まれて。やっぱり、何ていうんですか、粘土のほうが性に合ってるって気がしたんですよ。それもあって、ちょっと働いてみたいなっていう気持ちにもつながって、働いてます。

インタビューに答える柴田さん

 

能美市に来てみて、どんな場所だなっていうふうに感じましたか。

 

もともと愛知県に住んでいたのでもっと人口密度は高かったんですけど、ここは程よい自然と人の割合を感じます。別にもっと田舎に行きたければすぐ行けるし、都会に行きたければ金沢にも行けるしとか、いい場所かなと思います。それにここに来てから人と人との関わりが全然、密になりました。もちろん、出会う人の量は東京にいたときのほうが多いんですけど、結局は一緒にいるっていうか自然が多いっていうのも、なにか心に働き掛けるものが大きいんじゃないかな、っていう思いがすごくあって。余暇とか時間、空間なんかが豊富、うまく言葉にはできないんですけど、すぐ近くに何かがあるって、自然もその何かなんですけど。自然があるっていうのがほんとに大事なんじゃないかなと思います、人にとってそういうことが。もちろん、都会に生えてる雑草でもそうなんですけど、よりそういうのを感じやすい環境っていう、自然とともに生きてるっていうのを感じやすい状態に自分の身を置くっていうことは大事だなって思います。そういう場所でばったりそこら辺のじいさんに会ったりして、他愛のない話をするっていうことがなにかすごく有意義だなって感じます。

上出長右衛門窯から望める田園風景 上出長右衛門窯上空を飛ぶとんび

上出長右衛門窯から望める田園風景(2019年8月21日撮影)

 

僕はもともと彫刻の勉強をしていたのですが、学生時代に彫刻科内の会話の中で「工芸的だね」って言われることは、あまりいい言葉ではなかったんです。それだけ彫刻的にも工芸的な仕事を取り込むのは難しいことなんだなと今では思うんですけど、その辺の兼ね合いは僕もまだ模索中な部分ではあるんです。それと同じ視点で、伝統工芸という言葉には僕はちょっとぴんと来てないんです。僕の中では磁器という「器」の歴史は、人間の営みの中で生まれてきたもので、人に使ってもらうために人がつくっているという、表現の矛先が分かりやすいものだとおもうんです。

柴田さんの仕事の風景1 柴田さんの仕事の風景2

柴田さんの仕事の風景3 柴田さんの仕事の風景4

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早朝、まだ暗いうちから開始される窯入れ作業。白とオレンジの尖ったものは、窯内の温度を測定するためのもの。それぞれ溶ける温度が違うそうです。

 

そもそも芸術になってくると、人の生活とは違うところに対してやってるイメージが僕にはあって、例えば器の口のあたる部分の形とか、盃を持ったときの重さとか。器っていうのはそれがすごく分かりやすいっていうか、中に何を盛るかとか、そういうもてなすっていう部分がしっかりとイメージできるほうが、ものとして強いのかなっていう思いがあります。形で思いが明快に伝わるものをつくることなんじゃないかなと思っています。そういう緊張感とか気持ちが込められるっていうものとしてはすごいものだし、人から人への愛を伝えるのにすごくいい術なんじゃないかなって思いました。上出長右衛門窯としてつくられるものは、これまでの歴史の中でどういう部分が積み上がってきて今に至るのかを認識する上でも、もっと勉強しなきゃいけないし、精進しなきゃいけないことばっかりだなって、やればやるほど強く思います。

上出さんがスケッチしたものを元に、柴田さんがレリーフを起こした「八寸丸皿 百果刻文」
上出さんがスケッチしたものを元に、柴田さんがレリーフを起こした「八寸丸皿 百果刻文」。(写真はまだ試行錯誤中の段階のもの)

 

ちょっとずつこうしたい、ああしたいっていうものは変わっていくので、それは僕も上出もみんなそうです。もちろん、轆轤成形の場合は一定してつくらなきゃいけないものですが、その中でもやっぱりちょっとした形の更新というのは絶対にあります。品物の原型に対しては、上出がデザインして、僕が立体にしていくという作業なので、それにちょっとずつ手を入れたり、足したり引いたりっていう事はコミュニケーションを取りながらやっていかないと進まないことだし、食い違いだったり、ぴったり感覚が合ってくるところとかも、ものでしか表現できない。それは機械でやろうと思ったらできるんでしょうけど、機械よりは全然早いし、手跡とかそういうのも僕は大事だと思っています。そういうところが人に最終的に伝わることも大事だと思うんです。手作業っていうのは、そういうものが伝わりやすい素敵なところだと思います。

真剣な表情の柴田さん

 

能美市だったらできること。

 

僕はこの上出長右衛門窯について、人とつくっていくものとして考えると、「これから先どうやっていけば、この九谷焼が社会の中でちゃんと循環して作っていける状況や暮らしていける状況をもっと多くの人に提供できるか」っていう社会的なところまで広げて提供していきたいと思うし、それを楽しみながらするためには、やっぱり厳しさと優しさみたいなものを両立していかなきゃいけないなって思います。人と関われるものをつくる、つくらせてもらうっていうのは、すごくありがたいことです。それはすごく厳しい状況の中で皆さんやってるはずで、やっぱりそれは社会的な価値観、昔から安価なものは世の中に溢れているし、高価なものもいっぱいあるけど、そういう社会的な価値観に対する考え方が、教育とか日常生活の中でどんどん希薄になり分かんなくなってきている部分を、ものづくりを通じて気づかせていきたい。難しいのは誰かがこうだっていうものでまとまってはいけないことだと思うし、自分の考え方というものを軸にして、それぞれの価値観を築き上げてぶつけていかないと面白くもならないし決していい方向に進まないと思うのですが、そんな環境をつくるのにここは今すごく恵まれています。これからもここにもっといろいろな人を巻き込んでいければさらに楽しいだろうなと思います。

僕はこの能美市に来て、今、やりたいことは叶ってます。楽しく仕事ができています。

試作品 試作品を見る三人

笑顔の柴田さん

 

上出長右衛門窯ホームページ
http://www.choemon.com/

 

お問い合わせ先

企画振興部 企画デジタル課

電話番号:0761-58-2204 ファクス:0761-58-2291