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九谷陶芸村に行ってきました。

登録日:2020年3月31日

九谷陶芸村モニュメントにて(2019年11月27日撮影)

九谷陶芸村のモニュメントにて(2019年11月27日撮影)

 

能美市は江戸後期から現在に至るまで、色絵磁器の代表ともいえる九谷焼の中心的な産地となってきました。その拠点となる陶芸村には、九谷焼の歴史や製法を学べるKAM能美市九谷焼美術館|五彩館|、1996年に九谷焼作家として初めてとなる文化勲章を受章した浅蔵五十吉氏の作品を収蔵するKAM能美市九谷焼美術館|浅蔵五十吉記念館|、どなたでも作陶体験ができるKAM能美市九谷焼美術館|体験館|、そして職人育成のためのKAM能美市九谷焼美術館|職人工房|と九谷焼専門の販売店が集まっています。

 

まずは、KAM能美市九谷焼美術館|五彩館|へ。

KAM能美市九谷焼美術館|五彩館|は九谷焼の歴史を振り返るとともに、過去の名作を鑑賞し、さらに現代九谷の新しい息吹を広く一般に公開するため1982(昭和57)年に開館。2018(平成30)年にリニューアルオープンしました。多くの方々に訪れていただけるように「おもてなしのミュージアム」をコンセプトに常設展示の充実・バリアフリー化・国際化への備えなど時代の要請に応える改修に心掛けました。館内は、紺青・朱赤・紫・緑・黄の色壁別の五つの部屋(展示室)で構成されています。この加賀地方で、色壁は江戸時代、貴人や賓客を迎える特別な部屋に用いられました。加賀藩前田家ゆかりの建築物や由緒ある茶屋など「おもてなし」の空間に使ってきた伝統があります。豪雪で色のない北陸加賀の冬を色鮮やかに過ごす工夫、それが「もてなしの心」として生きているのです。「紺青の間」「朱赤の間」の江戸時代からの名品の常設展のほか、「紫の間」「緑の間」では随時特別展覧会が開催され、「黄色の間」では九谷焼ができるまでの制作工程の解説やビデオ上映、九谷焼に関する資料などを備えています。

能美市九谷焼美術館|五彩館|

KAM能美市九谷焼美術館|五彩館|

 

最初に「紺青(こんじょう)の間」へ。五彩手、青手様式の色絵の九谷を中心とした江戸時代から伝わる名品の常設展です。人間国宝の三代徳田八十吉作「燿彩壺(ようさいつぼ)」をはじめ、数々の名品が並びます。

染付色絵花鳥図平鉢 紫陽花瓜文大額鉢

九谷焼を眺める小林さん

三代徳田八十吉「燿彩壺(ようさいつぼ)」 燿彩壺の前で

(1)染付色絵花鳥図平鉢 若杉窯 勇銘 江戸時代後期 (2)紫陽花瓜文大額鉢 吉田屋窯 江戸時代後期 (3)三代徳田八十吉「燿彩壺(ようさいつぼ)」 

 

隣接した「朱赤の間」は赤絵を中心とした展示です。九谷焼は明治時代以降に欧米各地で隆盛したジャポニズムの中で、輸出用陶磁器として貿易高日本第1位の時期があり、日本を代表する陶磁器という意味で“ジャパン・クタニ”と言われていたのです。当時パリには九谷焼の店舗もあったそうです。この「朱赤の間」には当時の作品も多く展示され、その高い技術力を後世に伝えるための復刻プロジェクトによって完成した「赤絵花鳥人物図大壺一対」も展示されています。高さが1メートルにも及ぶ大壺を横浜や神戸港から船で欧米各地に運んでいたって、すごいですよね。

赤絵花鳥人物図大壺(部分)1 赤絵花鳥人物図大壺(部分)2

赤絵花鳥人物図大壺(部分)

ジャパンクタニを眺める小林さん

館内には明治時代に輸出された製品が数多く展示されています。

 

数々ある作品の中でも圧巻は九谷庄三(くたにしょうざ)の作品です。現在の能美市寺井町の農家に生まれ、10歳の時から陶画の基礎を習い、多くの工房で技術を習得しながら、藩内各所に窯を築いて指導にあたり、25歳で独立。地元に戻り開窯しました。庄三は、陶画のほかに陶土や上絵顔料についても極めて研究熱心で、当時流行していた赤絵細描の技巧を改良し、江戸末期から明治初期にかけて日本に輸入された洋絵具をいち早く取り入れ、顔料釉薬のみでは表現できなかった中間色の絵付を完成させています。すなわち、赤絵細描に金彩を施し、さらに洋絵具を加味した華やかな「彩色金襴」の技法を完成したことは庄三の功績で、描画の繊細と多彩な絵付の完成は当時の九谷陶芸界を風靡し、教えを受けた門弟の数は300人を超えていたと言われています。この上絵の傾向は、明治前半の輸出貿易品として受け入れられ、九谷焼作風の大きな比重を占めることになりました。

九谷庄三「色絵草花人物文飾皿」

九谷庄三「色絵草花人物文飾皿」(部分) 九谷庄三「色絵草花人物文飾皿」(底部部分)

(1)九谷庄三 色絵草花人物文飾皿 (2)九谷庄三 色絵草花人物文飾皿(部分) (3)九谷庄三 色絵草花人物文飾皿(底部部分)

九谷庄三「「色絵草花人物文飾皿」を眺める小林さん

色絵草花人物文飾皿と小林さん

さらに「緑の間」と「紫の間」では特別展や個展、団体展などがおこなわれています。そして2階に上がると「黄色の間」があり、九谷焼制作工程が詳しく理解できる常設展示や専門図書閲覧・映像視聴コーナーなどがあり、さらに深い知識を得ることができます。

KAM能美市九谷焼美術館館長の中矢さんと当時施設長の佐久間さん

KAM能美市九谷焼美術館 館長の中矢さん(左)と施設長の佐久間さん(右)(当時)

 

さらに「緑の間」と「紫の間」では特別展や個展、団体展などがおこなわれています。そして2階に上がると「黄色の間」があり、九谷焼制作工程が詳しく理解できる常設展示や専門図書閲覧・映像視聴コーナーなどがあり、さらに深い知識を得ることができます。

緑の間 紫の間

黄色の間 黄色の間に展示されている九谷焼制作工程の一部

(1)緑の間 (2)紫の間 (3)黄色の間 (4)黄色の間に展示されている九谷焼制作工程の一部

 

そして、お隣にあるKAM能美市九谷焼美術館|浅蔵五十吉記念館|へ。

能美市出身の陶芸家で文化勲章受賞者・日本芸術院会員であった二代浅蔵五十吉の作品を広く一般に公開しています。建築は池原義郎設計。全国公共建築百選に選ばれ、建築業協会賞を受賞しています。浅蔵氏は、長い歴史と伝統を誇る九谷焼の流れを受け継ぎながら、意匠、技法、形態それぞれに新たな工夫を重ね、現代感覚を生かした独自の作品世界を見事に切り開きました。その歩みは、初期から雄大な自然をテーマにした色絵で一貫していますが、一つの様式を完成すると次の段階でまったく斬新な色、形、技法に挑戦するといったバイタリティーに溢れています。浅蔵氏は自らの作品を振り返り、「10年の周期がある」という言葉を残しました。昭和20年代は明るい黄色、30年代には渋い黄色、40年代にはグリーン系が目に付き、50年代には黄色がかった複合色へと変わっていきました。そして、60年代から平成に入っては、プラチナを用いた銀彩に転じます。文化功労者顕彰と傘寿を節目に平成5年以降は「色無き色」、すなわち白釉の美へと挑戦はやむことを知りませんでした。浅蔵氏の作品を見て強く感じるのは、一つの小成に甘んずることなく常に新しい挑戦を続け、努力を惜しまない姿勢であり、そこには一人の作家としての確固たる意志が貫かれています。

KAM能美市九谷焼美術館|浅蔵五十吉記念館|

KAM能美市九谷焼美術館|浅蔵五十吉記念館| 建築は自然との融合を意図した繊細な作品が特徴の池原義郎設計。全国公共建築百選に選ばれ、建築業協会賞を受賞しています。

杉による美術館内部の天井 瑞鳥飾皿

残雪ノ松飾瓶

(1)内部の天井は杉によるもの。 (2)瑞鳥 飾皿 昭和35年(1960年)度作 (3)残雪ノ松 飾瓶 平成10年(1998年)度作

 

鑑賞の後は、隣接の九谷陶問屋団地でお買い物。

ここには九谷焼店舗が約10軒連なり、どのお店も個性豊かな作品が所狭しと並んでいます。自分が気に入った作品に必ず出合えますよ。

九谷焼店舗にて1 九谷焼店舗にて2

九谷焼店舗にて3

入り口の「ギャラリー結」は喫茶室も併設していて、九谷焼の器でお茶も楽しめます。是非お立ち寄りください。

 

動画メッセージ

 

小松空港から20分で「陶芸村」へ 

KAM能美市九谷焼美術館|五彩館|、|浅蔵五十吉記念館|、|体験館|は、九谷焼の生産・販売の中心地である石川県能美市泉台町の「九谷陶芸村」にあります。陶芸村へのアクセスは、小松空港から車で約20分、金沢駅からでも約50分です。陶芸村にはKAM能美市九谷焼美術館|五彩館|、|浅蔵五十吉記念館|、|体験館|のほか、石川県九谷焼技術研修所や九谷焼流通団地(九谷焼商卸)など九谷焼の関連施設がそろっており、九谷焼のふるさととなっています。

 

KAM能美市九谷焼美術館|五彩館|

住所:石川県能美市泉台町南56番地

https://www.kutaniyaki.or.jp/

 

九谷陶芸村

住所:石川県能美市泉台町南22番地

https://kutani-danchi.org/

地図情報

石川県能美市泉台町南56番地

関連リンク

お問い合わせ先

産業交流部 観光交流課

電話番号:0761-58-2211 ファクス:0761-58-2297