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川合 孝知さん

登録日:2019年9月27日

川合 孝知さん

その会長さんが『どこか住むところを』と言って、能美市の単身住宅、市営住宅を探してくれて、そこに住んだんです。

 大学で生産工学部を専攻し、防振ゴムや免震ゴムの研究をされていた川合さん。埼玉の防振ゴムメーカーに3年勤めてみて、将来的に違う職に就きたいと思いはじめたころ、九谷焼技術研修所の存在を知りました。

 「軽い気持ちで始めたんです。会社にいてもそんなに偉くなれそうもないし。生活の安定とか、全然何も考えていない。逆に考えていたらやっていなかったと思うし、何も知らないから始めたのであって。」

という川合さんは、試験に合格し、研修所に通うために最初は金沢に居を構えます。1年後に就職する際、当時研修所の同級生だった奥さまとは、二人で製作していく将来を考え、研修所の先生に一貫製作をしている工房を紹介してもらったのが、吉光町の上出長右衛門窯さんでした。

 「そうしたら、その会長さんが『どこか住むところを』と言って、能美市の単身住宅、市営住宅を探してくれて、そこに住んだんです。上出さんのところに、8年ぐらい正社員でいました。それから九谷陶芸村の支援工房に入ったのですが、その時に、雅彦さん、当時の上出の社長さんが、『最初は食べていけないだろうから、最初は半日、うちにバイトに来たら』とおっしゃってくれて。午前中は上出さんで働いて、午後から陶芸村で自分の仕事をする。それで自分の仕事が1年半か2年後ぐらいになんとか軌道に乗ってきたので、上出さんに『自分でやります』と。何もできない僕を、10年くらい上出さんに育ててもらったし、九谷焼の業界に多少は恩返しもしなければと思っています。感謝しかないですよね。」

 緑もなく、隣家との隙間もあまりとれない静岡の街の中で育った環境から、今は緑もすごくたくさんあって、空気もいいと。もともと乾燥肌だった川合さんは、こちらに来て以来、冬に体がかゆくなることがなくなったそうです。

 「今は結構お店も病院もたくさん出来たので、日常生活をするのにはいいですよね。ちょうどいい。子どもが保育園に行くとか遊びとかでも、いろいろなところがありますし。別に何不自由なく暮らしていますね。

仕事は、自転車操業より、もっとあれですね。もう本当に三輪車並みですよ。漕がないと進まないという。漕いでも進んでいるのか分からないことも多々ありますけれども(笑)。それでもまあ、一生続けられたらいいですよね。仕事があるから、感謝だけですよ。本当に不思議な、なぜですかね、ということだけですね。」

笑う川合さん真剣な川合さん上絵を付ける川合さん九谷焼の作品自宅の前の川合さん

川合 孝知さん

静岡市のご出身。九谷焼作家。埼玉県のメーカー勤務から、26歳の時に九谷焼技術研修所の試験をパスし石川県へ。28歳から能美市に居住。窯元で働いた後、10年前に独立。奥さまは愛媛県のご出身。

取材日 2019年7月23日

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