滝浪社
長滝(ながたき)町にある「滝浪社(たきなみしゃ)」は、平安時代の文献『続日本後記(しょくにほんこうき)』の嘉祥2年(849年)の条文に、従五位下に叙せられた「多伎奈弥社(たきなみしゃ)」として登場する由緒ある式内社(しきないしゃ)である。
祭神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)・菊理姫命(きくりひめのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)で創建は不明だが、延長5年(927年)成立の文献『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』にも名が見え、古来より崇敬を集めている。
明治41年(1908年)刊行の『加賀国式内等旧社記(かがのくにしきないなどきゅうしゃき)』では「多伎奈弥神社は式内一座で、山上郷(やまがみごう)長滝村に鎮座し、今は白山社(はくさんしゃ)と称し、布滝が七段に流下しうるゆえに云う。七滝(ななつだき)の一名を宮滝と云々。」と記されている。古代の人々が7段の岩を流れ落ちる清流「七ツ滝」を御神体として崇めたことが、神社の始まりといわれる。
瀧浪社の他に、七ツ滝周辺には真言宗の滝谷寺(たきだんじ)があったとされ、その礎石という石が整然と並んで残っている。広大な神域にいくつもの社寺の建造物があったと考えられる。
七ツ滝付近の山の中腹で創建された瀧浪社は、明治22年(1889年)に現在の長滝町集落に遷座されたが、本殿跡からは平安末期から鎌倉初期の物とみられる古鏡8点、古鏡を納めていた珠洲焼の壺1点、加賀焼の片口鉢1点の他、鉄刀が出土したと伝わる。
社叢林には、スダジイ・ウラジロガシ・ホオノキなどが生い茂り、中でもスダジイは県内でも有数の巨木として知られている。
周辺には、ヒットウガラン(七堂伽藍)・テラヤシキ(寺屋敷)・サイノカワラヅカ(賽の河原塚)・ギョウヅカ(行塚)・ミヤダン(宮谷)・キョウデン(京殿)・ビクニン(比丘尼)など、神社仏閣にまつわる地名が残されている。
由緒ある神社として、自然が織りなす雄大さ・神々しさに対する畏敬の念を抱いた古の人々の信仰と歴史を知る上で、貴重な史跡である。