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虚空蔵山城跡

登録日:2019年4月1日

虚空蔵山城跡

虚空蔵城(別称=白米城、和気山城、舘城)は和気町の能美丘陵の中央部やや西寄りの南端に突出し た虚空蔵山の頂上部から尾根つたいに築かれている。
城主は兄の富樫政親と加賀の守護職を争って敗れた富樫幸千代といわれ、後に一向一揆勢の旗頭であ る荒川一助、中川庄左衛門、永山治郎などが居城し、天正三年(1575)に織田信長軍が一向一揆軍の鎮 圧にとりかかった際、落城したと伝えられている。

城郭の範囲は、東西約600メートル、南北約500メートルの範囲と推定される。主要城郭の範囲は東西約200 メートル、南北約400メートルである。標高は山麓で約50メートル、頂上部で約138メートルであり、主要城郭は110 メートル以上のところに集中している。

主要郭は頂上部の本丸を中心として七ヶ所の平坦地があり、放射状に延びる尾根筋に郭をつくる環郭式 城郭である。主要な四箇所の平坦地は、本丸、二の丸、馬場、大手門と呼称される。郭と郭の間には堀 切を配しており、本丸の二の丸からの入り口および二の丸への虎口などには土塁が設けられている。なか でも馬場北端の平坦地は、城の搦手として利用されていたものと考えられ、この土塁の部分に搦手門のよ うな施設があったと推定される。

また、搦手口と馬場から本丸への虎口には、北方からの攻撃に対して喰違い虎口(右前)となるよう工夫さ れており、二の丸から本丸への虎口、さらに大手門の虎口は、南方からの攻撃に対して喰違い虎口(右前) となるよう工夫されている。

本丸の周囲にある腰曲輪は、北側と南側で幅広くなっており、北西と北東の一部 で自然傾斜が急傾斜なため手を加えていない部分がある。 二の丸の周囲には、V字に深く掘り込まれた薬研堀が巡らされており、腰曲輪がさらにその周囲に幅約3メートル に渡って造られている。この薬研堀では、堀幅約6メートルに「打ち返し勾配」を用いて、外からの攻撃に対して2 メートルで堀底に行き当たり、内法を急勾配とした「片薬研」の形をとっている。二の丸西下の大手門の土塁は、 山道を挟んで両側にあり、この大手門の南端から西側の斜面には(石垣)石塁が続いている。

遺構の遺存状況も大変よく、北陸地方の中世山城の特徴をよく伝えている。

能美ふるさとミュージアム
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