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岩根宮

更新日:2022年6月10日

 iwaneguu

 岩本(いわもと)町にある「岩本神社(岩本宮)」は、古くから「岩根宮(いわねのみや・いわねぐう)」と呼ばれており、白山比咩(しらやまひめ)神社の「白山七社(白山本宮・金剱宮・三宮・岩本宮・中宮・佐羅宮・別宮)」の1社に数えられた。

 祭神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)で、古来より崇拝を集めている神社である。

 平安時代の文献『白山之記(しらやまのき)』には「宝殿・拝殿・講堂・鐘楼・水宮、小社巨多(あまた)なり。但し、奥宮に白鳥と云う尼神なり。」と記されており、現在の神社敷地を含む広大な神域に、大小多くの建造物があったと考えられる。白山比咩神社の『境外摂社村社岩本神社明細書(けいがいせっしゃそんしゃいわもとじんじゃめいさいしょ)』には「仁明(にんみょう)天皇嘉祥(かしょう)元年の創建で、白山七社の白山第二王子」と記され、白山信仰の重要な神社である。

 元々は手取川を隔ててそびえ立つ天狗壁の頂上にあり、現在の岩本神社は、その観音堂だったという伝承もある。本尊には十一面観音像が祀られているとされ、室町時代の文献『大永神書(だいえいしんしょ)』に「仁明天皇御宇(おんみよ)、嘉祥元年戊辰。本地十一面御垂迹僧形高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)。」と記されている。

 また、同時代の物語『義経記(ぎけいき)』には、奥州に逃れる途中の源義経(みなもとのよしつね)が「いはもとの十一面観音に御通夜」と記され、今後の武運を祈願した地として登場する。

 最も栄えた頃は400軒以上の家が軒を連ねたといわれ、白鳥奥院や時宗(じしゅう)関連の寺院にまつわる伝承があり、周辺にはジョウドヤマ(浄土山)・オウジョウジ(往生寺)・ベンケイイワ(弁慶岩)・ゴザイワ(御座岩)・テラダン(寺谷)・サギダン(鷺谷)・オイケ(大池)・トノミヤ(殿宮)などの神社仏閣や『義経記』にまつわる地名が残っている。

 岩本神社から山道が続くジョウドヤマ・ミネヤマ(峯山)・オオタニ(大谷)には、縄文時代中期の石錘(せきすい)や石斧(せきふ)、中世の五輪塔(ごりんとう)や宝篋印塔(ほうきょういんとう)など、数多くの遺物が出土している。

 古からの由緒ある神社として、当時からの白山信仰を知るうえで貴重な史跡である。

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