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宮の嶋旧蹟

登録日:2019年4月1日

宮の嶋旧蹟

牛嶋の集落は、中世の頃、大長野の東南に当る「宮の島」に村があったが、低地であり、水害も度々あったので、宮の島より東北にある現在の高地に移住し、村の周囲に竹を植えて水難を防いだとも言われている。牛島は現在でも「藪島」の異称をもつのは、そうした竹藪をめぐらした村であったからだと言われている。

この伝承を裏付けるように、平成7年度から平成9年度にかけて、宮の島の隣接地で小松インター八里線建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査が行われ、弥生時代前期から中世まで連綿として営まれた遺跡が発見された。(牛島ウハシ遺跡と呼称) 遺跡からは、中世の掘立柱建物や井戸等の遺構をはじめ、田下駄、横杵、漆椀、漆皿等の木製品、中世渡来銭、越前焼、珠洲焼、青磁等の土器類が多数出土した。とくに井戸から出土した箸状木器は1,157点にも及び、集落の人口も相当数あったことがうかがえる。この発見により、中世の時代に宮の島に集落があったことが明らかになった。

牛島の地名については次のような伝説がある。

「八丁川と鍋谷川とを南北に挟んでで広い島があり、丁度その形は牛が座って首を曲げているようであった。島一面は雑草や雑木で蔽われていたが、大水ともなると、この島も東北の一部を残して水浸しとなるのであった。年が経るにつれ、島の中央に小川も流れるようになった。この島の西方に南北に走る街道があり、その街道に沿って村々が点在していたが、これらの村人達は島の開発を考えてはいたものの誰一人として、これを実行に移すものがなかった。或る日、一人の老人が牛を引いて現れて、村人達に島を耕地に開発すれば、子孫も繁栄するし、農業に役立つ牛を大切にすることを説き聞かせ何所となく立去ってしまった。この老人の言葉を神のお告げとして、一心に協力して開拓したのが村の起こりで、牛の形をした島、牛のいる島と呼んでいたのが、いつのまにか牛島となった。」

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