能美電駅跡周辺スポット 火釜駅編
登録日:2025年10月14日
火釜駅跡周辺スポット
来丸駅跡
能美電気鉄道(能美電)の駅として、大正14年(1925年)6月設置。
来丸気多神社の参道前にあった。昭和2年(1927年)に織布機業場が開業すると、作業員が多く利用した。
昭和55年9月の能美電廃線に伴い廃止。
住所:能美市来丸町
座標:36.44999, 136.55676
【現在地から約500m】
火釜八幡神社

天保10年(1839年)の手取川大洪水で流失し、現在地に移された。昭和17年(1942年)村社に昇格。翌年に本殿が新築された。
住所:能美市火釜町ロ157
座標:36.44983, 136.56069
【現在地から約150m】
来丸気多神社

能登の永井将監が、羽咋の気多神社(現在の気多大社)から分霊を勧請し、自身の邸内社としたことが始まりと伝わる。
天明年間に現在地に移り、明治20年(1887年)に来丸気多神社となる。
住所:能美市来丸町へ7
座標:36.44948, 136.55686
【現在地から約450m】
山上組十村屋敷跡

江戸時代に山上組十村を勤めた太田家の屋敷跡「山上組十村屋敷跡」(能美市指定史跡)。物見山運動公園の北東側にある。
十村は、加賀藩の農政制度「改作法」における管理監督役であり、山上組には岩本・灯台笹・宮竹・岩内など37ヶ村が属した。太田家6代文兵衛が寛政5年(1793年)に山上組十村を命じられ、来丸村に移住した。
1,300坪の広大な敷地に、大門・土蔵2棟・庭園を備えた平屋建ての屋敷とされたが、昭和12年(1937年)に解体した。現在、屋敷跡には太田家の骨堂が建つ。
住所:能美市来丸町
座標:36.44975, 136.55315
【現在地から約800m】
加賀岩内駅跡

能美電気鉄道(能美電)の駅として、大正14年(1925年)6月設置。
沿線の駅で「加賀」の名が付く3つの駅のうちの1つ。米麦・藁工品・肥料・織物製品などの積み下ろしを行う貨物駅が併設された、大きな駅だった。
また、県内外から治療を受けに来る接骨院が近くにあり、国鉄との併用切符が最も多く販売された駅として、当時注目を集めた。
昭和55年9月の能美電廃線に伴い廃止。
住所:能美市岩内町イ
座標:36.45251, 136.56800
【現在地から約900m】

お問い合わせ先
教育委員会事務局 ふるさと文化財課 能美ふるさとミュージアム
電話番号:0761-58-5250 ファクス:0761-58-5251