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九谷焼工芸技術

登録日:2019年4月1日

九谷焼は、大聖寺藩初代藩主の前田利治が、後藤才次郎に命じて、肥前有田卿に製陶を修業させ、九谷の地で窯を築き、田村権左右衛門らを指導して、明暦年間(1655年頃)に始めたのが、はじまりとされている。

窯跡からは、色絵付を前提とする白磁や染付の陶磁片が多数発見されており、このことから、九谷焼は最初から色絵付を目的とした窯業生産であったことが理解される。伝世品からみても、九谷焼初期の古九谷は、色絵装飾に生命のすべてがあり、紺青・緑・黄・紫・赤の「九谷五彩」の絵具を用いて描いた大胆な構図、力強い筆づかい、厚く盛り上がるように絵付された賦彩法は、他の日本のやきものには見られない特色がある。こうした技法の特色は、江戸後期の吉田屋窯以降、今日の九谷焼にも伝統として受けつがれている。

これらの技法の保存と向上を目的として、伝統的技法に基づく製作に永年従事している、優秀な上絵技術者を主たる会員として結成された「九谷焼技術保存会」が、県指定の無形文化財として認定されている。

「石川県の文化財」より

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