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吉光の一里塚

登録日:2020年3月11日

吉光の一里塚

 一里塚は、古代中国の制に倣って織田信長が始め、徳川秀忠により慶長9年(1604年)に、東海・北陸などの官道に築かれたものである。江戸日本橋を基点にして、1里(約4km)ごとに5間(約9m)四方の塚を街道両側に築き、その上に樹木を植えて道標とした。

 吉光の一里塚は、北陸街道(北国街道)の粟生宿駅にあったもので、寛文10年(1670年)には現地に移設されたと伝わる。もとは南北に対をなしていたが、明治14年(1881年)7月2日の手取川洪水によって北側の1基が流失し、南側の1基が残った。続く昭和9年(1934年)の手取川大洪水でも耐え抜いたとされる。

 塚の木には榎が採用されているが、これは当時、街道両側にあった松並木と区別するためや、風雨にも強く丈夫と考えられていたことが理由とされる。

 石川県内で一里塚が現存している例は他になく、貴重な史跡である。

能美ふるさとミュージアム
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