関白内大臣家歌合
かんぱくないだいじんけうたあわせ
更新日:2024年11月26日
歌合は、左右に分かれた歌人が詠んだ歌を1首ずつ組み合わせて比較し、その優劣を判定して楽しむ文学的遊戯で、平安初期以降、貴族間で流行した。
本巻の巻頭には、「関白内大臣家歌合 保安二年九月十二日」と記されており、永久3年(1115年)に内大臣、次いで保安2年(1121年)3月5日に関白となったばかりの藤原忠通(ふじわらのただみち。1097年生~1164年没)の屋敷で行われた歌合の内容を記したものである。忠通は政治家としてだけでなく、能書家としても知られ、書風は法性寺流として後世に伝えられている。
奥書によれば、藤原基俊(ふじわらのもととし。1056年生~1142年没)の自筆本とする。基俊は藤原道長の曽孫で、歌学では源俊頼(みなもとのとしより。1055年生~1129年没)と並び称されるほど著名で、当時の優れた歌合の判者であった。
歌合の題は山月・野風・庭露・恋であり、歌人は源俊頼など左右7名ずつ、判者は「前左衛門佐基俊」と記されている。
元は加賀前田家に伝世したとされる名品である。
紙本墨書。全長825.7cm×幅26.2cm