石子村肝煎交代願
いしこむらきもいりこうたいねがい
更新日:2025年3月14日
安政6年(1859年)3月に石子村肝煎の六右衛門が病死したことに伴い、その子息である六右衛門(代々、同じ襲名か)を後任としたい旨を、文久2年(1862年)9月に石子村の百姓が連署し、石子村が属する北板津組の十村の三坂村(現在の白山市)孫市に願い出たものである。その後、近隣十村からの同意も得て、改作奉行所に提出し、改作奉行の連名で許可されている。
肝煎役(庄屋に相当)は村の長であり、村の農事・人事・納税などを担当する職務だった。任命には、藩の認めが必要だったため、農村支配機構の重要なポストとして位置付けられていたことが、本史料にみられる任命までの手続きからうかがい知ることができる。
幅25cm×長さ137cm