牧野伝三郎の扁額
まきのでんざぶろうのへんがく
更新日:2025年6月2日
学制が発布され、日本の学校教育制度が確立したのは、明治5年(1873年)8月である。
大長野では、戸長山本儀平などが明治6年(1874年)5月3日、吉田甚右衛門の居宅を借り受け、それを大長野小学校として創設し、甚右衛門が教授にあたった。
大長野八幡神社にあるこの扁額は、吉田が常に終身の銘として口誦した「仁者心、動無事如大山、無欲故、静也」の名句を、牧野伝三郎が書いたものである。
牧野伝三郎は、十村牧野家の8代孫七の末弟で、「由之(ゆし)」「逸丈庵丁々堂」「逸美」と号した。和歌・俳句だけでなく、華道・茶道・書道・囲碁・謡曲も嗜む文化人だった。
江戸末期の寺井地方の文化の振興に大きな影響を与えた人物だが、彼の資料は非常に少なく、この扁額は彼の遺作の1つである。