牧野伝三郎の扁額(2)
登録日:2019年4月1日
学制が発布され、わが国の学校教育制度が確立したのは明治5年(1873年)8月である。大長野では、戸長山本儀平などが明治6年5月3日、吉田甚右衛門の居宅を借り受け、それを大長野小学校として創設し、甚右衛門が教授にあたった。
大長野八幡神社にあるこの扁額は、甚右衛門が常に終身の銘として口誦した「仁者心、動無事如大山、無欲故、静也」の名句を牧野伝三郎が書いたものである。
牧野伝三郎は十村牧野孫七の末弟で、文政9年(1826年)5月13日生まれ。丁々洞、由之または逸美と号した。詩歌もたしなみ、その雅名を玉潭と称した。和歌・俳句はもとより、華道・茶道・書道・囲碁・謡曲の大家でもあった。