小杉村肝煎交代願
こすぎむらきもいりこうたいねがい
更新日:2025年3月14日
文政3年(1820)7月に小杉村肝煎(きもいり)の源兵衛が病死したことに伴い、その子息である喜兵衛を後任としたい旨を同年9月に小杉村の百姓が連署し、小杉村が属する徳橋組の十村(とむら)の埴田(はねだ)村(現在の小松市)清作に願い出たものである。その後、近隣十村からの同意も得て、加賀藩の改作奉行所に提出し、改作奉行の連名で許可されている。
肝煎役(庄屋に相当)は村の長であり、村の農事・人事・納税などを担当する職務だった。任命には、藩の認めが必要だったため、農村支配機構の重要なポストとして位置付けられていたことが、本史料にみられる任命までの手続きからうかがい知ることができる。
幅24cm×長さ116cm